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時間はたっぷりあるので。

初めて自分のアナルの毛を見つけたときの感情について

自分のために考える、自分のために書く。

 


書くの何年ぶりだろうか。初めてPCで書きはじめた。



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5月29日に家からWiFiが無くなってしまい、ボクは失意のどん底にいます。



もはや書く気力は残っておらず、WiFiの工事終わるまで書かなくてもいいかな〜なんて思って。



と言うのも、最近目を酷使しすぎてスクリーン見るの嫌になってきてて。



ぼくは小さめのスマホ使ってるので特にスマホはあんまり見たくないんですよね。さらに通信容量5ギガしかないし。



でも最近いろいろ考えてその上でのやるべきことの1つなのでやります…



 

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久しぶりだし軽く近況報告をば。

 


いろいろありましたが3月に無事大学を卒業し、今、東京は三鷹市で会社の寮に住んでます。

 


コロナ禍で2か月におよんだ在宅WEB研修もついに終わるとのことで、ここまでくると4月はおっくうだった出社も俄然楽しみになってくるわけです。

 



しかしOJTのオネエサン(4年目、目つき鋭い)に「出勤は土日も含めて3日に1日、土日に被ったら休み」と告げられ、最高潮に達していた僕のちっぽけなやる気は行き場を求めてさまよいました。

 



6月15日まで出勤が3日間しかありません。しかも6月からは在宅研修もなくなるので正真正銘、暇になってしまいます(情報管理の関係で部署研修は会社でしかできないらしい)。

 

 何しよう・・・

 


この2か月、少々自堕落な生活を送ってきました。そのせいで自己嫌悪がひどくなってはいたのですが、ただ、暇っていいこともあって、それはいろいろ考える時間ができる、ということです。

 



その大小に関わらず、真に自由で、面白くて、心底やりたいことって、やるべきことに忙殺されている状態や守るべき地位や人や物ができた状態では生まれない、生まれても実行できないと僕は思ってます。

 


考えが成熟した人間はあとがむしゃらにやるだけかもしれないけど、僕はまだ考えが成熟していないので、そんな状態になってしまうともうおしまいで、気づいたら僕の人生終わってるんだろうな~と思います。

 



だからときどき立ち止まって、自分を見つめ直して、自分の心への感度を高めておくことが自分には必要かなと思ってます。これは心理学でいうところの「外向」「内向」に関係していると思ってて、ただこの話は長くなるので割愛。

 

 


ここまで読んでクサいと思う人もいるかもね笑、そう思う人はこれ以上読まないでくださいね。あともっとくさそうなアナルの毛の話、聞きたくない人もこれ以上読まないでください。いつ始まるかわからないので

 


で、そんなわけで僕は暇なとき、考えます。たまに、やることないよりは、何かやるべきことあった方がいいという人がいますね。




話を合わせることもあるけど、正直まったくそう思いません。




やるべきことがないのは最高です。


仕事しなくていいなら僕は仕事はしないです。



自分の楽しさを仕事のレベルまでもっていく(一概に「上げる」とは言えない)必要はないと思っているので…

 

 

これは「働く」について思うことかな。

 


話逸れた。

 



お前が考えんの好きなことはわかったけど、適当にお題募集して考えて書いて自分のためになんの?

 

て話ですが、結論から言うとめちゃくちゃためになります。

 


書き出すことで、考えが整理されます。


自分が何に対してどう思うかを整理することで、自分をより理解できるようになる。



そして自分で思いつくような対象についてはすでに考えたことあります。

 


だから挙げてもらいました。

 

 


本当に何でもいいんです。

 

 

 




たとえそれが初めて自分のアナルの毛を見つけたときの感情だったとしても。

 

 


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僕が初めて自分のアナルの毛を見つけたのはいつのことだろうなぁ、と考えたのですが、おそらく高校のときと、大学のときじゃないかと思ってます。

 


いや『初めて』なのに2回見つけるってどういうこと?

 

 

それを説明するために、まずアナルの毛、もっといえばアナルについて考えていきます。

 


知らない人のために言っておくと、アナルというのは肛門のことです。

 


ばっちい!と思った人いますか?

 


あなたのその感覚は一見正しいようでいて、ほんのり誤っています。

 


橋本環奈にもアナルがあります。飾りではありません。

 

 

さて主に排泄器官として用いられるアナルですが、人の身体の一部として、僕が思う最も重要な特徴があります。

 

 


それは、自分自身で直接見ることはできないということです。

 



背中とか耳とかもそうで、鏡や写真に写して見ることはできるけど、直接みることはできないよね。



つまり写して見るまで、その場所は本人にとってイメージ、もっと言うと、

「概念」でしかないんですよ。




そういうことです。(?)





ぼくは概念としてのアナルの毛を高校生のときに見つけました。



心情はねぇ、全然大きな感情の揺れ無かったと思いますよ。




概念としてのアナルの毛は、見つけても大したことないです。体の見えてる部位の毛とイメージが変わらないので






ただ問題は2度目の「実体」を見つけたときだよね。




このお題を挙げてくれたIさんにとってもそのインパクトは大きかったんでしょうね…。





ぼくは大学時代家に洗面台のとこにしか鏡無かったので、恥ずかしい格好で恥ずかしい写真撮って確認しましたけど、そこには目を背けたくなるような光景が広がっていたのです…





そっとdeleteしました。





これさぁ、みんなもそうなの?





ねぇ







ねぇ…






誰か…









答えてよ…………









(。゜ω゜)ハッ!





危うく発狂するところでしたね。









最近思う説として、ぼくは中学の頃、pubic hairを抜いて友達にプレゼントする遊戯が好きだった名残で、pubic hairが抜けやすいという特性を持っているのですが、それはどうでもよくて、





まだ概念しか見つけてない時にpubic hairと同じ感覚で抜いてたことあったんすよね…





だからかなって…







(´;ω;`)ウゥゥ










ただ、このまま負けるのは悔しいので、このコロナ禍の中、脱毛サロンに行き始めました。





あれって術者はもちろん男性なんですけど、カウンセリング?術前の話し合いみたいなの、女性なんですよ。






お互い真顔でアナルの毛について話しながら、








「この人好きでこの仕事やってんのかな」







「『コイツ恥ずかしくないんかwwwww』とか裏で言われてるのかな」

 

 

 



「このおねえさんは社割使ってつるつるなのかな…」 






などいろいろなことを考えましたが、やはり1番強くおもったのが、








自分が思っているより、世界は広い。






ということ。












アナルの毛って、世界の広さだったんですね。







合掌。







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さて、今回は生命の神秘について議論を深めてきましたが、最後にひとつだけ。








「アナル」という言葉に拒否反応を示す人は、受精卵から人生やり直した方がよいと思います。


先進国の中で性教育の水準が最低レベルと言われている日本。


この閉鎖的な国の方針に抗い、独学によってしっかりとした知識を身につけたぼくからしたら、恥ずかしいという人の考え方が恥ずかしいです。


「おっぱい」も同様で、男にも女にも平等におっぱいあるのに、過剰に反応するのはおかしいと思います。


トップレス運動があるように、そもそも女性のおっぱいを性器とみなすか否かという議論において、まだ結論は出ていません。


まずは常識を疑ってみましょう。


それでは皆さんご一緒にっ🎶






「「アナル」」

























はずかちぃ/////